十五少年漂流記 (新潮文庫) 文庫 – 1951/11/20
ジュール・ヴェルヌ (著), 波多野 完治 (翻訳)
読みました。
昨年はコロナ渦でメンタル病んでいたのか、勧められた児童文学がとても面白かった。
「小公女」「小公子」「クリスマス・キャロル」を続けて読んだ。
一年くらい置いて、また児童文学が読みたくなった。
「蠅の王」を読んでから、ずっと読まなくちゃな~と思っていた「十五少年漂流記」を読むことにした。
冒頭から嵐のシーン。絶えずドキドキする展開。
章が細かく区切られているので寝る前にちょっとずつ崩していった。
夢見が悪くなるシーンはなく、最後までスカッとする読み心地。
当時に読むより、今読んでちょうどよかったかなと思ったのは、完全に少年向けだからか。
「ポケットモンスター アルセウス」が発売された当初、ツイッターで「少年少女がこんな厳しい状況に陥るなんて親の立場から見ると辛い」みたいな人がいた。
そういう人は絶対に読めないだろうし、なんなら悪書とすら見そうな気もする。
ともかくシビアなのだ。
「悪い年少を鞭で叩いてお仕置き」
「弟の大失敗を兄が受け入れずに感情的に怒り、代償として捨て身の奉仕をさせる(弟は受け入れる)」
「悪人は殺す」
シビア。
日本の子供向けでは、子供が大人をこらしめることがあっても、殺すことはない。
ポケモンがトレーナーにダイレクトアタックすることで有名な「ポケットモンスタースペシャル」は小学校高学年向けだけど、明確に殺す描写はない(行方不明扱いだったと思う)。
もしかすると、日本の子供向けに改変されたものでは殺人描写はないかもしれない。
ただ、海外では「蠅の王」が学校で読む本だそうなので、海外版の子供向けではしっかり殺しているのかもしれない。
ゾーニングの違いをひしひし感じる。
どういう考え方の違いがあるのか知りたい。
年少のときに「十五少年漂流記」を読み、その後「蠅の王」を読むことになった場合、脳汁ドバドバ出そうでちょっとうらやましい。
先日見た「BULL」という海外ドラマでは「蠅の王の感想文」という言葉が出てきたのを聞いて、日本で言うところの「人間失格」とか「こころ」の扱いなのかなとも思う。
「蠅の王」の映画はカルト映画扱いだ。原作は日本だと大人の読み物で、一番読みたかったはずの中高生時代にはとうていたどり着けなかった。「バトル・ロワイヤル」は高校生のときに読んだな。そういう流れで読みたかった。
結論は出ないけれど、こういうことを考えるのもいいだろう。
Pokémon LEGENDS アルセウス -Switch
確か4話の「地獄の町」だったか……