短編小説「大食いグラドルちゃんの食レポ」

 


 門間まりかは歌って踊ってたくさん食べる食いしん坊系グラドルだ。ここ一年は雑誌だけではなくテレビのバラエティーなどにも出演するようになった。グラドルと言えば深夜帯を想像しがちだが、まりかは大食いキャラを買われてゴールデンタイムに呼ばれることが多くなった。

 グルメレポーターも真っ青の実況、豪快なのに見ていて不快感のない食事風景、なにより「おいしい♪」という幸せそうな笑顔がお茶の間の心をしっかりと掴んだのだ。近頃はローカル放送だが名店を回る企画の長寿番組のレギュラーを取った。本人は大層お気に入りの様子だ。

「おいしいものがいっぱい食べられるから、この番組のロケ大好きです」

 ロケが終わった後、マネージャーの伊勢勉が運転する車の中でほくほく笑顔の上機嫌なまりか。ホールのケーキも長くて太いロールケーキも、一体どこへ収納されているのだろうか。胸や尻だろうか。勉はバックミラーでくつろぐ姿を確認しながら、いつものことだけれど首を傾げる。

「次は漁港の海鮮巡りだって。刺身とか海老天とか食べられるね」

「海老……」

 まりかの反応が鈍い。声が心なしか暗い。不審に思った勉がもう一度バックミラーで顔色を伺うと、大きな目が曇っていた。

「まりか、海老さん嫌い……おいしい顔できるかな……」

「なんだって!?」

 大食いグルメキャラが売りなのに、いいリアクションが取れなかったらあっという間に見放されるだろう。多くの日本人は海老が好きだ。したがって、海老は非常によく利用される食材だ。深刻な問題である。

「……嫌いな食べ物ってどれくらいある?」

「えーと……海老さん、イカさん、タコさん、それから」

 聞いてみれば、山ほど出てくる。

 勉は長く唸って、運転も疎かになるほど悩んだ。そして、目的地に着いた頃、ようやく名案が閃いた。


 翌日のロケ弁は勉の手作りだった。

「伊勢さんの手作りなんですか? 楽しみですっ」

 と、弁当の蓋を開いたまりかの笑顔が強張った。唇の端が引きつっている。ミックスベジタブルの色素がまぶしい海老ピラフの上に、しんなりとした海老のフライが乗っていた。

「嫌いなものを食べても美味いリアクションを取れる練習だ。頑張れ!」

「……う、嬉しいな。わーい……。いただきますっ」

 精一杯の笑顔をつくり、プラスティックのスプーンで大きく一箸掬う。口に運ぶまではいつも通り。咀嚼を始めてから、笑顔はじょじょに泣きそうなものへと変化していった。ミックスベジタブルがじゃりじゃりとしている。無意味にしょっぱくて、海老の香りすらかき消されている。

「すまない。俺の料理は下手なんだ。だから家で取る食事はいつもコンビニ弁当だ。グルメなお前の舌には絶対に合わない。でもこの先、必ずそういった料理が出てくる日がある。それでもお前は、笑顔にならなくちゃいけないんだっ……それがテレビの業界なんだ! わかってくれっ!」

 熱弁する勉。まりかは弁当の中身をじっと見つめた。しょっぱいピラフに、衣はついているけれど表面がしっとりとしたエビフライ。下手なりに時間をかけて一生懸命作ったことは理解できる。栄養のこともそれなりに考えてあって、不ぞろいな付け合いの野菜が顔を覗かせている。

 ぐっと唇を噛む。口の中に残った不快感と共に、唾液を飲み込む。

「い、伊勢さんの真剣さが伝わってくる個性的なお味ですっ! おいしいな~……」

 あまり好調とは言えないスピードでまりかは完食した。ペースと同じくらい表情も優れてはいなかった。それでも、なんとか最後まで笑顔を通していた。勉が視線を外した瞬間にげっそりとした顔をしたのは言うまでもない。

 飯マズ特訓はロケ当日まで続いた。なかなかうまく笑えないまりかに勉は心配を募らせていたが、本番になったら彼女を信じるしかない。勉は神に祈った。


 磯の香りの漁港。肩が大きく開いたセーターを着たまりかとメインリポーターのスーツに身を包んだお笑い芸人二人組みの前に出される、ボリューム満点の天丼。どんぶりをゆうにはみ出す海老天が二本、架け橋のように横たわっている。

「わー、すごーい! おっきーい! 海老が重たい!」

 箸で海老をつまみ、目を輝かせるまりか。ここまでは完璧だ。苦手だと悟らせない演技ができている。まず一つ安心する勉だが、ここからが本番である。気は抜けない。

「いっただきまーす♪」

 大きく一口。まりかのリアクションは、最初の一口をかみ締めてから大きく表情を変えるのが特徴である。演技ではない美食に対する本当の感動がそこにあるからこそ人の心を動かすことが出来る顔芸。やらせではできない。勉は胸の前で両手を組んでいた。

「……ん~っ! 海老さんがぷりっぷりです! 新鮮な甘みが海からやってきましたって感じです。衣もさくさくしてて、幸せな触感ですぅ。ダシも甘いけどさっぱりしていて、すっごくおいしい!」

 まりかの目はきらきらと輝いていた。頬が落ちそうな笑みを浮かべながら一気にまくし立てると、あとはメインリポーターが声をかけるまで夢中で食べ続けていた。一目で本当においしかったとわかるリアクションだった。そんなに美味しいなら食べてみたい、と思わせるほどの笑顔だった。

 収録が終わると、まりかは勉の元へと大きな胸を揺らしながら駆け寄ってきた。

「すごいいいリアクションだった! よく頑張った!」

 勉は感動で少し涙ぐんでいた。この一週間、精魂込めた弁当を作り続けた記憶が甦ってくる。メニューを考えながらの帰宅、スーパーの品定め、無駄な下ごしらえをしてから就寝、朝は暗いうちから二人分の弁当を支度して、昼は我ながらマズいと思う冷飯を食む……地獄のような一週間だった。しかし、その成果は実ったのだ。

「伊勢さん、本当にありがとうございます」

 姿勢を正して、まりかは頭を下げた。

「伊勢さんの豚の餌以下のお弁当を食べたとき、なんでこんなまずいものが世の中にあるんだろう、なんで私はこれを食べておいしいって言わなくちゃいけないんだろうって思いました。でも、伊勢さんのお弁当を食べたら、海老とか、イカとか、タコとか、もう、そんなの大したことじゃなくなって、思い切って食べてみたら、伊勢さんのお弁当よりぜんぜんおいしいんです!」

 まりかの大きな両目は真剣だ。勉は、海老やイカに敬称がついていないことに気がつく余裕がなかった。相槌すら打てなかった。

「私、伊勢さんのお弁当の味を一生忘れません。私の苦手な食べ物は、伊勢さんのお弁当ですっ!」

 これはどう受け取ればいいのか。皮肉か。勉は立ち尽くして、回転の鈍くなった頭で考えた。確かに伊勢の手料理はまずい。しかし、面と向かって言われると苦労した分だけ辛かった。

「……こ、今後に生きそうで、よかったよ」

 力の抜けた細い声でなんとか答える勉。まりかは口の前で指の先を組む。

 少しだけ、二人の間に無音が流れた。

「あの……ロケ弁とか外食とかコンビニのお弁当ばっかりだと、飽きちゃうし、栄養偏っちゃいます。だから、今度は私がお弁当を作ってきてあげますね」

 きょとんとして「え?」と聞き返す勉に、いたずらっぽくまりかはウインクをした。

「お返しです。私のお弁当は美味しいですよ?」

 みんなには内緒だと、立てた人差し指と小さな声が物語っていた。

END


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2013年の短編が出てきたので供養。