短編乙女ゲームシナリオ「最後のモテ期は甘い香り」(12016文字)

最後のモテ期は甘い香り



【一章】 ○レストラン・店内(夜) 私は間宮志穂。27歳。 都心で、暮らしと生活を中心にした雑誌のライターをしている。 今日は久々に地元へ戻ってきた。高校の同窓会に出席しているのだ。 間宮志穂 (懐かしいなあ) 石動嵐 「間宮さん、なにボーっとしてるの」 石動嵐君――いっちゃん。 口数は少ないけれどしっかり行動する、頼れる学級委員長。 気が弱いから、こき使われて大変そうなこともしばしばあった。 間宮志穂 「感慨に耽っちゃった。いっちゃん、幹事お疲れ様」 石動嵐 「ありがとう。ここは融通利くし、多少無理言っても大丈夫なんだ」 どんなに忙しくても大変でも、クールに笑って受け流すところは昔と変わらない。 間宮志穂 「いっちゃんって本当に昔から頼りになるね。実は、今日もいっちゃんアテにして来てたりして」 石動嵐 「え? どういうこと?」 間宮志穂 「今度ウチの雑誌でスローライフ特集するんだ。いいヒントないかなって思って」 いっちゃんは、実家の農家を継いでいる。 農家というと泥くさいイメージがある。 しかし、目の前のいっちゃんはシュッとした印象だ。 清潔感のあるシャツ姿は、街中で見かけるビジネスマンみたいだった。 石動嵐 「あぁ、そういうことか……なんでも聞いてよ」 間宮志穂 「前、お父さんが頑固だって言ってたけど、どうなったの?」 石動嵐 「最近、やっと納得してくれるようになったかな。法人化するときは地面が割れるかっていうくらいに反対されたけど」 間宮志穂 「いっちゃんも社長さんなんだねぇ。はるか遠くの人みたいだよ」 石動嵐 「なにいってんの。それはこっちの台詞だよ。間宮さんはいつもキラキラしてて眩しいや」 「ところで、ライターの仕事は順調?」 間宮志穂 「ぼちぼちかな。最近は新たな野望も抱いちゃったりしてさ、モヤモヤしてるところ」 石動嵐 「野望! いいね。胸が熱くなる響きだなあ。どんな野望?」 間宮志穂 「私も自分で何かをプロデュースして流行らせたいな、なんて。でも、なかなか材料が見つからないのよ」 石動嵐 「へえ! じゃあ、ウチとかどうかな?」 間宮志穂 「なになに? いいネタ!? 聞かせて! ねぇ、聞かせてよ!」 石動嵐 「いいネタかはわからないけど……ウチ、昔から無農薬なんだ。最近は有機栽培とかオーガニックってオシャレな言い方するだろ。それでね、」 いっちゃんは後ろから強く肩を叩かれて、台詞を最後まで言わせてもらえなかった。 国分寺理央 「おい、嵐!」 石動嵐 「痛いな! なんだよ、理央!」 国分寺理央。 高校時代はヤンチャな不良だった。そのくせ、趣味は料理。特にスイーツ類。 よく手作りのスイーツを学校に持ってきて食べさせてくれた。 顔に似合わず、とても可愛くて繊細で、おいしかった。 二・三年前まで数年間音信普通だったが、その間はフランスで修行していたらしい。 面白いけど破天荒なやつである。 間宮志穂 「理央ってば。いい大人なんだから、そういう乱暴なの、そろそろやめなさいよねー」 国分寺理央 「相変わらずうるせぇな、お前は。だからおばさん臭くなっちまうんだよ」 間宮志穂 「は? なによ、表出なさいよ!」 国分寺理央 「ちょっと黙ってろって。それより嵐! これ、どこで扱ってるかわかるか?」 尖った形の黄色いプチトマトが、理央の持った小皿に乗っていた。 間宮志穂 「えー、なにこれ。面白い形」 国分寺理央 「イエローアイコっていう品種だよ。知らないのか」 間宮志穂 「すみませんね。ひとつお利口になりました、どうも」 理央がトマトをつまんで、私の口の前に差し出す。 国分寺理央 「よし志穂、食ってみろ」 間宮志穂 (ええっ? この状況で、食べろって?) 国分寺理央 「ほら、早く。めんどくせぇな!」 顔面にぶつけてくる勢いだ。 マイペースで強引なところは昔から変わらない。 間宮志穂 「ああもう、はいはい!」 照れを勢いで隠し、思い切ってトマトに噛み付く。 間宮志穂 「……あ、甘ぁい! なにこれっ! 果物みたい!」 国分寺理央 「だろ? イエローアイコは基本甘い。だけど、これは今まで食べた中でズバ抜けて糖度が高いんだよ!」 石動嵐 「さすが理央っ! そうなんだよっ!」 国分寺理央 「ん? ってことは……」 石動嵐 「ウチが作ったんだ。ちょうど今、間宮さんに紹介しようと思ってたところ」 間宮志穂 「すごーい! さっきからお野菜おいしいなって思ってたんだよぉ……」 石動嵐 「間宮さんと理央にわかってもらえて嬉しいなぁ」 国分寺理央 「おい、嵐、ちょっと外いいか?」 石動嵐 「え? いいけど……」 間宮志穂 「私は抜き?」 国分寺理央 「志穂も来い来い」 ○レストラン・店前(夜) 国分寺理央 「実は来年、自分の店を持とうと思って準備してんだよ」 間宮志穂 「がんばって! でもお金は貸さないよ」 石動嵐 「すごいじゃないか! 俺も金は貸さないけど」 国分寺理央 「もっと俺を信用しろ! 違うって! そっちは十分間に合ってるっつーの!」 「そうじゃなくて、石動ン家の野菜を仕入れたいんだよ」 石動嵐 「そうか、だから外か。別に気にしなくてもいいのになぁ」 国分寺理央 「ん? どういうこと?」 石動嵐 「ここ、ウチで経営してるから。俺がオーナーなんだ」 間宮志穂・国分寺理央 「「えええっ!?」」 石動嵐 「そんなに驚かないでよ。最近はそういう店、多いだろ。たまたま俺がやってただけ」 国分寺理央 「お前、経営の才能あるのな。たまげた」 石動嵐 「大したことないってば。それより、俺は大歓迎。店はどこでやるの?」 国分寺理央 「こっち。駅近く。だって、水はうまいし空気はいいし景色もいいだろ、ここら辺」 「……あ、洋菓子の店だからな?」 マイペースな理央もさすがに気を使うらしい。 いっちゃんはおかしそうに笑う。 石動嵐 「わかってるって。地元の野菜を使ったお菓子か。今流行りの地産地消だね。地方創生にもなりそうだな。ウチの商品開発の相談にも乗ってくれない?」 間宮志穂 「タイアップってやつ? 私も参加したい! ねえ、これネタにして記事書いていい?」 石動嵐 「いいね。こういうときこそ女子の視点が欲しいよね」 国分寺理央 「そうだ。必要なら簡単なレシピとか提供するぜ」 間宮志穂 「うーん……なんかこう、箔のつく肩書きとかない?」 国分寺理央 「まぁ、小さいのは色々あるけど……でかいのだったら、アジアで一番になったかな」 間宮志穂 「ええっ! いつの間にそんなこと!」 国分寺理央 「いつの間に、じゃねえ! マスコミなら知ってろ!」 間宮志穂 「うっ……管轄外だから、その……反省します」 石動嵐 「まぁまぁ、二人とも。そのあたりでやめとこうよ」 「だけど、さすが理央だなぁ。やっぱりすごいよ。敵わないや」 間宮志穂 (嫌味に聞こえるのは、私が情けないせい?) 石動嵐 「そうだ! ウチで農業体験やって、理央のところで料理教室やって、実食、とか楽しそうじゃない」 間宮志穂 「わあ、それ素敵! 情報はネットで流せばいいよ。SNSで自慢大会!」 国分寺理央 「っしゃあ、盛り上がってきたな! やっぱお前ら最高だわ!」 理央が、両手の平をスッと上げる。 私も、いっちゃんも、手を上げて、ハイタッチ。 間宮志穂・国分寺理央・石動嵐 「「「イエーイ!」」」 学生時代に戻ったみたいだ。 ○編集部(昼) 編集長へ提出した企画書は、つまらなそうな顔で一読されて付き返された。 編集長 「夢があっていいわね。企画はご大層だけど、はっきり形が見えないとハイって言えないの。わかる?」 間宮志穂 「編集長、そこをなんとか」 編集長 「本気で通したいなら企画を練り直してきなさい」 間宮志穂 「……わかりました。もう一度、書き直してきます!」 編集長 「ハイハイ。お疲れ様でした」 編集長は『やれるものならやってみろ』と冷たく鼻で一笑した。 ○車の中(昼) 石動農園まで、駅から車で一時間ちょっと。 理央が車で送迎してくれると言うから素直に甘えてみた。 国分寺理央 「お前を助手席に乗せることになるとはな」 間宮志穂 「なんか落ち着かないんだけど。安全運転してよね」 国分寺理央 「イエス、マイレディ。赤信号通過しまーす!」 間宮志穂 「ちょちょちょっ、ちょっと!」 国分寺理央 「するわけねーだろ、バーカ」 車はきちんと減速、停止。 理央はべぇっと舌を出して笑った。 間宮志穂 「もうっ、理央が言うと冗談に聞こえないの!」 国分寺理央 「ごめんごめん。嬉しくて、ついつい昔みたいに調子乗ってた」 間宮志穂 「そうだよねぇ。また三人で何かできるなんて、学園祭みたいで楽しくない?」 なんて言いながら、少し、苦いことを思い出してしまう。 学園祭のときに、理央に告白して、フられたこと。 「今はまだ付き合えない」なんて、格好付けた言い方して、理央は私のことをフった。 「冗談に決まってるじゃん。なにマジになってんの」なんて、私もチャラけてみたけれど。 間宮志穂 (悔しいけど、本気だったのになぁ) 国分寺理央 「学園祭か。本当にな。この俺が裏方準備なんて真面目にやってクソ笑えたけど、楽しかったな」 間宮志穂 「あのとき『今がずっと続けばいいのに』って思ったんだ」 今度の仕事も、学生時代のようにワクワクしながらできるかもしれない。 国分寺理央 「なあ、あのときの告白。覚えてるだろ?」 間宮志穂 「……なに? いきなり」 (気まずいなぁ……) 国分寺理央 「もう一回、返事してもいいかな」 間宮志穂 「えー。なんだっけ。忘れちゃった」 忘れてなんかいない。でも、今更蒸し返されても、笑い話にしかならない。 国分寺理央 「ちえっ、つまんねぇの。そんなんだから彼氏できねぇんだよ」 間宮志穂 「ふん。馬鹿にしないでよね。これでも一応モテるんだから。彼氏くらい、いたわよ」 国分寺理央 「へーえ……」 『思うところあり』な、不愉快を隠した声音だ。 そんな反応、本気っぽくて、戸惑ってしまう。 国分寺理央 「『いた』ねぇ。じゃあ、今はいないんだ? 彼氏」 間宮志穂 「何よ、その言い方。たまたま今、あいてるだけよ」 国分寺理央 「アラサーでフリーかぁ。そろそろ焦ってるんじゃね?」 間宮志穂 「う、うるさいわね!」 国分寺理央 「手ごろなところで身を固めたら?」 間宮志穂 「そう簡単に見つかったら苦労しないよ」 国分寺理央 「いるだろー、ここに。俺とかどう? オススメだけど」 理央はトントンと自分の胸を叩いた。 いつもみたいに冗談めかして、からかうみたいに、笑う。 間宮志穂 (多分……本気だと思う) 昔なじみの直感。 理央は冗談ばっかり言うけれど、つまらない冗談は言わない。 間宮志穂 「はぁ? あんたなんかと付き合うならバッタと付き合ってた方がマシよ」 (いきなり言われても、真面目に答えられるわけないじゃない!) 国分寺理央 「バッタはねーだろ! バッタは!」 ペタリと窓にバッタがはりついた。 国分寺理央 「……おい、モテてるぞ」 間宮志穂 「嬉しくない……」 【二章】 ○石動農園(昼) つやつやの葉っぱと暖かい土の匂い。風が穏やかで優しい気持ちになる。 そのわりに、畑やビニールハウスは整然と小奇麗に並んでいる。 石動嵐 「いらっしゃい。石動農園株式会社にようこそ!」 手を振るいっちゃんも、自然の景色に不釣合いなかっちりとしたスーツ姿だった。 間宮志穂 「お招きありがとー!」 少しでこぼこしたコンクリートの道は歩きにくい。 ずるっ……。うっかりヒールが滑ってしまう。 間宮志穂 「きゃあっ!」 石動嵐 「わっ!」 いっちゃんの腕が、私の体を受け止めた。 思わず、いっちゃんの硬い二の腕にしがみつく。 間宮志穂 (いい匂いがする……) スパイスの効いたおしゃれな香水の匂い。 いっちゃんの素朴なイメージが、だんだん、洗練された大人になっていく。 石動嵐 「だ、大丈夫? 足、捻ったりしてない?」 間宮志穂 「う、うん……ありがとう」 石動嵐 「間宮さんは昔からそそっかしいところがあるからなあ」 私は身を縮めていっちゃんから離れた。 間宮志穂 (あれっ? なんか、すごく、ドキドキしてる……!?) 国分寺理央 「変わんないねぇ、志穂ちゃんは。はっずかしー」 間宮志穂 「もう、放っておいてよ!」 石動嵐 「気をつけてね。間宮さんが怪我したらシャレになんないよ」 間宮志穂 「はぁい。反省します」 国分寺理央 「俺の貴重な時間使ってんだぞ。わかってる?」 間宮志穂 「あんたはなんかムカつくのよね」 石動嵐 「こらこら。そこ、喧嘩しない」 それから、農園を見て回った。 完全システム化された有機栽培。外来種など変わった品種。豊かで独特な土。インターネット通販、定期配達、訳あり野菜の詰め合わせ。美容と健康に優しい加工販売。 石動農園には昔ながらの農業のイメージを覆す近代的な特徴があった。 国分寺理央 「んじゃ、まずはそこらへんからヨロシク」 石動嵐 「了解。仕事でこんなにワクワクするの初めてだよ」 まずは、野菜を理央が料理してレシピにする。 製作過程を動画で撮影して、レシピと一緒に石動農園のホームページに掲載。 そして、ウチの雑誌で継続的なコーナーを設ける……という流れにしたい。 あとは企画書を作ってからの勝負だ。 国分寺理央 「こっから先は俺の腕の見せ所だ! 最高にびっくりさせてやるぜ」 間宮志穂 「頼むわよ、フランス帰り」 国分寺理央 「おう任せろ。お前らみんな惚れさせてやるよ」 いつものふざけた言い方なのに、理央の目は職人の鋭い目をしていた。 石動嵐 「頼もしいなぁ。女性ファンは任せたよ」 間宮志穂 「なに言ってんの。いっちゃんイケてるって! 自信持って!」 石動嵐 「ど、どうだろうか……間宮さんにそう言ってもらえるのは嬉しいけど」 間宮志穂 「イケメンで優しくて若くてやり手、しかも謙虚な独身社長なんて、ファンがついちゃって大変だよ」 「それに比べて、こっちのウザい自信家ときたら」 国分寺理央 「自信もなにも、俺を中心に世界が回っているからな」 間宮志穂 「うわ、出たよ。俺様地動説」 石動嵐 「変わらないなぁ、理央は」 国分寺理央 「胃袋掴んでやるからな。覚悟しろ!」 石動嵐 「はいはい。キッチンはこっちだよ」 国分寺理央 「プロの料理人は台所を選ばないってね」 「腕は一流。品質も一流。頭も顔も超一流。あとは宣伝だけだな。任せたぜ」 理央は私の肩を小突く。 いっちゃんがこらえきれずに笑った。 ○編集部(昼) 間宮志穂 「編集長、先日の企画なのですが」 取材に基づいてまとめた資料を提出する。二人には顔出しの許可を貰っている。 レシピからうんちくまで、最終イメージに辿り着くまで寝る間を惜しんで作った。 これを鼻であしらわれたら筆を折って故郷に帰る覚悟だ。 編集長 「石動農園の若社長ととイケメンパティシエね……いいんじゃない」 「続けてやりなさい。打ち合わせの日程をすり合わせるわよ」 間宮志穂 「ありがとうございます!」 ○国分寺宅(昼) 理央のマンションはワンルームで、寂しいほどに物が少ない部屋だった。 だけど、展望が非常にいい最上階。自然交じりの景色が綺麗だ。 間宮志穂 「こんなところ、どうやって? 高いんじゃないの?」 国分寺理央 「現金なこと聞くなぁ。マスコミの性分か?」 「親父の土地だよ。跡継ぎは兄貴だし、これくらいはな。ちなみにここはさほど高くない。田舎だから」 間宮志穂 「……こっちから通勤するのも悪くないかな」 国分寺理央 「泊まりたいならいつでも歓迎だぜ。なんなら同棲しちゃう?」 間宮志穂 「バカなこと言わないの。ほら、作業作業」 私はそっけなく言ってごまかす。 今日は、後からいっちゃんが来るのだ。 変なことはないはずなのに。 間宮志穂 (口説かれる期待、してるのかな……) デジカメを取り出し、腕まくりして、キッチンへ。 ピカピカに磨かれたシンクが眩しい。 国分寺理央 「自宅でできる簡単レシピってことで」 間宮志穂 「デザートも食べたいな……?」 国分寺理央 「お前の胃袋なんかお見通しだよ。しっかりネタは用意してるぜ」 間宮志穂 「わーいっ! 嬉しいなっ。どんなの?」 国分寺理央 「作ってる最中にあててみろよ。あたったらご褒美くれてやる」 間宮志穂 「あ、いりません」 国分寺理央 「なんだと? 志穂のくせに生意気な!」 学生のときみたいに馬鹿話をしながらの作業。 理央の料理の手つきは、無駄がなくて、それでいて、食材や道具を優しくいたわっている。 惚れ惚れするほどプロそのものだ。 私はカメラを回して、わからないところは手短に質問をする。 私も、理央も、ただがむしゃらに何かをする学生ではなくなった。 大人になって夢を叶えたのだ。 間宮志穂 「スポンジケーキなんだね」 摩り下ろしたにんじんを混ぜた生地を、独特の形の器に流し込み、オーブンにいれる。 国分寺理央 「あたり。で、これを添えるわけだ」 テンパリングで冷やした銀のボウルの中には、にんじんのおかげでオレンジ色にあわ立ったムース。 国分寺理央 「味見すっか?」 間宮志穂 「するする!」 ムースをスプーンによそった理央は、スプーンの先を私に向けて。 国分寺理央 「ほら、口開けろ」 間宮志穂 「またそれ?」 国分寺理央 「飽きたか。じゃ、口移しにしようか?」 間宮志穂 「もーっ! 馬鹿じゃないの!」 つべこべ言ってたら本当に口移しされそうだ。 スプーンに食らいつく。 間宮志穂 「んー! おいしい……!」 口の中にふわっと広がる甘み、しゅわっと蕩けるムース。 間宮志穂 (あれ? 懐かしい味……?) 「ねえ、これって高校のとき作ってくれたやつ?」 にんじんの風味で、思い出していく。 理央がお弁当に持ってきたのを貰ったら、すごくおいしくて……。 間宮志穂 (それから、作ってきてくれるようになったんだっけ) 国分寺理央 「覚えててくれたのか……あたりだ」 理央の右手が何気なく近づいて、私の顎をクイッとあげる。 理央の顔が近づいて……口の端にキスされた。 間宮志穂 「……な、なにすんのよっ!」 国分寺理央 「クリームついてたぜ」 理央の勝ち誇った微笑みに、よろけてしまいそうだ。 キスされたところを、手で押さえる。 国分寺理央 「本当はずっとこうしたかった。志穂がこれ食って『おいしい』って言ったから、ここまでやってこれたんだ」 間宮志穂 「なによ……なんで今頃になって、こんなこと……」 国分寺理央 「今だから、だよ」 間宮志穂 「こんなの、いきなり、困るよ」 国分寺理央 「本当に困ってる?」 間宮志穂 (ニヤけそうになるくらい嬉しい。でも、今の関係が壊れてしまうのは、怖い) 国分寺理央 「あのときは俺にもお前にも夢があった。やるべきこともあった」 「付き合ったらフランスに行ってようがどうしようが別れたくない……お前を待たせて、束縛したくなかったんだよ」 間宮志穂 「私がその間、彼氏ができたり、結婚したり、夢を諦めていたら、どうだったのよ」 国分寺理央 「……俺は、お前が嵐と付き合っていてもいいって思ってたさ」 間宮志穂 「私が、いっちゃんと?」 いっちゃんは優しくて頼りがいがある。 だけど、そんな素振りなんてぜんぜん見えないし、疎遠なくらいだった。 付き合うなんて考えたことすらなかった。 国分寺理央 「でも、もう譲る気はない。俺のことだけ見ろ」 理央は私の瞳をまっすぐ覗き込んでくる。 国分寺理央 「お前、本当に綺麗になったな」 なんて、柄にもなく、素直に、愛おしそうに、優しく笑う。 間宮志穂 「いつもブスって言うじゃない!」 国分寺理央 「本音なわけあるか。お前は綺麗で可愛いよ。俺にとっては世界で一番」 間宮志穂 「ほ、本当に……いつもいつも、マイペースなんだからっ」 嬉しいのに、理央とはずっとこんな調子だから、今更どうしていいのかわからない。 ――チーン! オーブンが鳴った。 国分寺理央 「おぅっ!? び、びっくりした」 理央は驚いた反動か、やけに慌ててオーブンを開く。 間宮志穂 (心臓に悪いなあ) 私はため息をついて、スポンジの甘い香りを肺いっぱいに吸い込む。 ――ピンポーン。チャイムが鳴った。 石動嵐 「一番最後だったかな?」 インターホン越しに、いっちゃんの楽しそうな声が聞こえる。 間宮志穂 (やっぱり、この関係が落ち着くかも) (……逃げ、かなぁ) 【三章】 ○編集部(昼) 会議は上々の出来で終了した。幸先明るい。 石動嵐 「ありがとうございました。よろしくお願いします」 編集長 「こちらこそ! それで、この後、お昼でも……」 「と思うんですけど、これから出張の予定がありまして。行ってくれるわね?」 間宮志穂 「はい。よろこんで」 「じゃ、いっちゃん、お昼行こ! 何食べたい?」 石動嵐 「間宮に任せる。せっかくだから案内してよ」 間宮志穂 「了解。お客さんだからね、『お・も・て・な・し』だよ」 石動嵐 「ふふっ。そのネタ古いよ」 ○エレベーター(昼) 間宮志穂 「四階なんだけど……」 エレベータのボタンを押そうとして、フッと目の前が暗くなった。 頭から血の気が引いて、膝に力が入らなくなる。 間宮志穂 (いけない、貧血……) 石動嵐 「っと! 大丈夫!?」 いっちゃんが受け止めてくれた。 視界がチカチカして、まっすぐ立てない。 間宮志穂 「ふ、フラフラしちゃった……受け止めてもらうの、二回目だね。ありがとう……」 石動嵐 「顔真っ青だよ。また無理してるんでしょ」 間宮志穂 「それほどでもないよ。ちょっと寝不足……」 石動嵐 「ダメじゃないか。学祭の準備でバタッて倒れたの覚えてるぞ」 クラスと部活の準備が重なって、夜中まで作業をしていたら倒れてしまったのだ。 仕事と企画の準備が重なっている今と、ほとんど一緒。 最低なことに、理央の家で撮った動画の編集作業も、気が進まなくてダラダラしている。 石動嵐 「間宮さんのそういうところ嫌いじゃないよ。でも、もっと自分のこと大事にしてよ」 間宮志穂 「本当にごめん。社会人として、情けないや……」 寄りかかっても、いっちゃんは引き寄せるようにして支えてくれる。 昔のまま、暖かくて、安心感があって。 学園祭の準備で倒れたとき、私を保健室まで運んでくれたのはいっちゃんだった。 あのときは、男の子らしい汗の匂いがして。でも今は、香水の匂い。 石動嵐 「そうじゃない。そういうことが、言いたいんじゃない」 「俺は、自分の夢にまっすぐに向かっていくひたむきな間宮さんが好きだよ。だけど、一途すぎて心配なんだよ」 間宮志穂 「本当、いっちゃん優しいなぁ……泣いちゃいそう」 ようやく気持ちの悪さも引いて、私はいっちゃんから離れようとした。 いっちゃんは、私の体を抱き止めたまま、離そうとしない。 間宮志穂 (うそ……抱きしめられてる……?) 石動嵐 「高校のときから、ずっと間宮さんのことが好きだったんだ」 間宮志穂 「え……いっちゃん……」 (だって、そんなの……ぜんぜん知らなかった……) 石動嵐 「やっと自分の気持ち、伝えられた。俺から離れないで。ずっと一緒にいて。間宮さんのこと、守らせて」 「俺、会社を始めて噓がうまくなったんだ。でも、間宮さんといると昔の気の弱い自分に戻るんだ……それが、すごくホッとするんだよ」 「間宮さんには、本当の自分を曝け出せるんだ。だから……離したくない」 いっちゃんの告白は、胸の奥に積もった想いを吐き出すようで、なんだか苦しそうだった。 すがりつくように、いっちゃんの腕にぎゅっと力が入る。 間宮志穂 「待って……待って、いっちゃん」 (頭が追いつかない!) いっちゃんの唇が、吐息の気配を感じるほど耳元へ近づく。 石動嵐 「ダメ。待てないんだ。『うん』って、言ってよ」 鼓膜をなぶるような囁き。 心臓がドキドキする。 頭の中が真っ白になって追い詰められていく。 間宮志穂 (……追い詰める? 私を? 誰が? いっちゃんが?) 「違うよ。そんなの、いっちゃんじゃないよ……」 いっちゃんは優しい。怒っても、泣いても、優しい。 少し弱気かもしれない。人に譲ってしまうかもしれない。 だけど、駆け引きで追い詰めることなんて、しない。 このいっちゃんは、昔のいっちゃんじゃなくて、ビジネスマンの石動さんだ。 石動嵐 「違う……?」 いっちゃんの声は、凍えるようだった。 四階のランプがついた。エレベーターが上がっていく。 間宮志穂 (わっ……いけない!) ハッとして、私たちは飛び跳ねるように身を離した。 四階まで、声も出せない。震えるようにじっと身を縮めていた。 ○ビルの廊下(昼) 扉が開く。 待っていたのはOL二人で、いっちゃんをキラキラした目でチラッと見た。 OLと入れ替わるようにエレベーターを出る。 お店の前まで、息苦しいほどの細い廊下がある。 石動嵐 「男はさぁ、どうしても欲しいものがあるとき、例え誰かを蹴落としても、誰かが泣いても、絶対に手に入れるんだ」 「だけど、間宮さんは……そういう俺は嫌いなんだね」 間宮志穂 「違うよ! そうじゃないの!」 いっちゃんは人差し指を立てて、静かにするよう諌めた。 泣いているとも笑っているともつかない、いっちゃんの表情。 石動嵐 「悪かった。今日の俺、どうかしてるね」 いっちゃんは、何をするときも絶対に文句を言わないで、じっと我慢する。 会社を大きくするためにいっちゃんはとてもがんばったはずだ。 現に今、いっちゃんはとても立派な社長さんなのだ。 そんないっちゃんを、否定したくない。 間宮志穂 (なのに……どうして、止められないんだろう) エレベーターがやってきた。 いっちゃんは一人で乗り込んだ。 扉が閉まるまで、いっちゃんは寂しげに私のことを見つめていた。 私はいっちゃんを追いかけていけない。 立ち尽くす。膝が震えた。 ○国分寺宅・玄関(夜) 勢いで新幹線に飛び乗って理央の家まで来てしまった。 間宮志穂 (電池切れてる……馬鹿みたい) 使えないスマホをポケットに押し込む。 玄関の前でしゃがみこんで、そのまま、待った。 徹夜のせいか、気がついたら眠っていたらしい。 国分寺理央 「うわっ!? なんでこんなところで寝てるんだよ!」 間宮志穂 「理央に、会いたくて……」 国分寺理央 「連絡しろよ!」 間宮志穂 「スマホ、電池、切れてて……」 寒くて身震いする。すっかり体が冷えていた。 国分寺理央 「バカ、お前バカ! ほんっとバカ!」 理央は羽織っていたジャケットを私の肩へかけてくれた。 間宮志穂 (あ、焼き菓子の甘い匂いがする。焦げたバターの匂い) 国分寺理央 「何があったんだよ」 あやすように、理央は私の頭をぽんぽんと優しく叩いた。 間宮志穂 「……くしゅっ!」 国分寺理央 「あぁもう、バカ! 入れ! 今、鍵開けるから!」 ぐぅ。と、お腹が鳴ってしまった。 間宮志穂 「ひもじい……」 国分寺理央 「お、お前なぁ……!」 ○国分寺宅(夜) 理央はリゾットを作ってくれた。暖かくておいしくて、安心がじわっと体中に広がっていった。 ホッとしたら、つっかえていた言葉が片っ端から出ていった。 いっちゃんをフったことも、罪悪感も、包み隠さず話してしまった。 国分寺理央 「そうか……そんなん俺に話すな! と、言いたいところだが」 間宮志穂 「そんなこと言わないでよ……」 国分寺理央 「……まぁ、それが志穂らしいな」 理央はおもむろに私の額へ手を当てた。冷たい手だ。 国分寺理央 「お前は寝ろ。顔色悪いぞ。ブスが輪をかけてブスになってる」 間宮志穂 「なによ、それ。この間は可愛いとか綺麗とか言ったじゃない!」 国分寺理央 「うるせぇブス! これ飲んだら寝ろ!」 理央は棚から風邪薬を出して、私の前に置いた。 間宮志穂 「ありがと……言われてみれば、頭痛い、かも……」 薬を飲んで立ち上がったら、理央に背中を押されて布団まで強制連行された。 国分寺理央 「おやすみ。さっさと治せよ」 額にキスされる……寝かしつけられてしまった。 子供扱いをされているのか。大切にされているのか。 部屋の電気が消えた。台所だけ、明かりがついている。 間宮志穂 (なんか、ドキドキする) お菓子の匂いじゃない。理央の匂いがした。 眠くて、頭が痛くて、体はだるいけど。 間宮志穂 (理央、こっち来ないかな) 理央は台所で何かをしていた。 甘い匂いがする。きっと、起きたら、お菓子が並んでいる。 間宮志穂 (それはそれで、嬉しいな) 口が悪くても、自信家でも、マイペースでも、理央は優しい。 ○国分寺宅(朝) 理央はテレビ前のソファで眠っていた。 机の上にはふっくらとしたオレンジ色のスポンジケーキ。 表面に『bel epi』とチョコペンで描かれていた。 間宮志穂 (読めない。なんだろう……) 国分寺理央 「フランス語で『美しいスピカ』って意味」 間宮志穂 「起きてたの?」 国分寺理央 「ん。お前、けっこう寝顔可愛いな。具合どう?」 間宮志穂 「また、そういうこと言って。……よく寝ちゃった。すっかり元気」 国分寺理央 「本当にお前はダメな」 理央はゆっくり伸びをして起き上がる。 国分寺理央 「っくしゅ!」 間宮志穂 「あ……もしかして、風邪が……」 額に手を当てた理央は、軽くため息をついた。 間宮志穂 「ごめん。私のせいだよね」 私は理央の顔を覗き込む。 国分寺理央 「ウッソー」 理央はぺろっと舌を出して笑った。 そのまま飛びつくように抱きしめられる。 国分寺理央 「幸せにしてやるから、離れんじゃねーぞ」 間宮志穂 「うん」 理央の広い背中に、ぎゅっと手を回す。 ○会議室(昼) 数ヵ月後。 間宮志穂 「ということで、晴れてコーナー設立です。おめでとう! ありがとう!」 石動嵐 「まさか俺がエッセイを書かされるなんて思わなかったけど……間宮さんがゴーストやってくれて助かったよ」 間宮志穂 「こういうの、やってみたかったんだよね。いつか自分の名前で書けるといいなぁ」 石動嵐 「理央は、オープンの時期、変更なさそう?」 国分寺理央 「変更なし。志穂の誕生日」 堂々と言い張る理央。 間宮志穂 (照れくさいな……気まずいし) いっちゃんも、微妙に苦い顔をする。けど、すぐにビジネススマイルでごまかす。 石動嵐 「店の名前は決まったの?」 国分寺理央 「『bel epi』だ」 理央は、紙に書いていっちゃんに差し出す。 間宮志穂 「フランス語で『美しいスピカ』って意味なんだよ」 紙を受け取ったいっちゃんは、数秒、表情を無くした。 そして、諦めたように笑って、頷いた。 石動嵐 「『美しい穂』って意味だよ」 間宮志穂 (えっ……理央、一言もそんなこと……) 理央を見る。 フッと、視線をそらされた。耳が赤かった。 国分寺理央 「辞書引けっての。バーカ」 石動嵐 「理央には敵わないなぁ。二人とも、お幸せに」 間宮志穂 「……ありがとう」 全部は、まだまだ始まったばかりだ。 end