○『三日月軒』店内(夜)
年季を感じさせる店内。壁には今宮戒
神社の飾り、春日せつ子(40)の写真。
春日鉄(56)ラーメンとカウンターに置く。
鉄 「醤油」
渉 「あいー!」
エプロンをつけた春日渉(17)、座敷席に
ラーメンを運ぶ。
渉 「醤油、おまちどうさんです」
カウンター席の東野昇一(53)、レジへ。
東野「お勘定」
渉 「はいー、ただいま!」
カウンターに小走りする渉。
税別表示されている複数注文の伝票。
伝票をレジに打ち込みながら、
渉 「783円です。いつもおおきに!」
東野、財布から小銭を出す。
レジが打ち終わり、783円と表示。
渉が小銭を預かるのと同時に、レシー
トが吐き出される。
東野「渉ちゃんほんま計算早いなぁ」
渉 「俺、算数だけはちょっと得意やねん」
渉、小銭を受け取った手でガッツポー
ズをとる。
東野「がんばりや、二代目」
渉、満面の笑顔で頭を下げる。
○『三日月軒』調理場(夜)
調理場の窓から三日月が見える。
洗いものをする鉄。拭き掃除をする渉。
渉 「あんな、お父ちゃん。俺な、お父ちゃ
んの後継ぎたいねん」
鉄 「アカン」
渉 「え……なんでアカンの?」
鉄 「お前には向いてへん」
渉 「どこが向いてへんの?」
鉄 「知らん」
渉、カウンターをバンバンと叩く。
渉 「なんやのそれ。わけわからへんて!」
鉄 「じゃかぁしいわボケ! お前はラーメ
ン運んでお勉強しとればええんじゃ!」
渉 「こちとら学年トップじゃ! これ以上
どないせいっちゅうねん!」
鉄 「公務員や、公務員になりや! ええ大
学いって公務員になるんじゃ!」
渉 「ンなもんアホでもなれるわ! 俺は出
世したいわけやない! ようわからん偉い
人に頭下げるんやなくて、お客さんに頭下
げたいんや!」
鉄 「ごちゃごちゃうっさいわ! お前は黙
ってお父ちゃんの言う通りにしとき!」
鉄、胸を押さえて、苦しそうな呼吸。
渉 「お、お父ちゃん!? お父ちゃん!」
渉、膝をついた鉄に駆け寄る。
○道路(夜)
救急車が夜道を走る。
○救急病棟(夜)
鉄、点滴を打たれている。
渉、ベッド脇で俯いている。
鉄 「糖尿、高血圧、疲労。お母ちゃんとき
と同じやな」
渉 「なんでそんながんばらなあかんの」
鉄 「ドアホ。働くっちゅうんはそういうこ
とやで。ラーメン屋はほんまに大ッ変や」
渉 「公務員かて大変やろ」
鉄 「せやかて土日はちゃんとあんねん」
渉 「いやや。俺は自分で自分のこと決めた
いねん」
鉄 「あんな小さくて汚い店、苦労するだけ
でなんぼにもならへんやろ」
渉 「一銭二銭の問題やあらへんわ。店が俺
の家やねん」
渉、鼻をすすり、袖口で拭う。
○回想・『三日月軒』店内(夜)
せつ子が座敷席で帳簿をつけている。
向かいで学校の宿題をする渉(7)。
通学帽子とランドセルが横にある。
渉MO「お母ちゃん、遅くまでよう働いて、
家事して、俺の世話して、大変やったろな。
お母ちゃんがおらへんようになってから、
お父ちゃんもホンマ大変やったと思う」
○緊急病棟(夜)
鉄 「確かにお母ちゃんはド偉かったで。で
も当然や。親やからな」
渉 「当然やない。だから俺は店を継ぐ」
鉄 「頭でっかちのお前にはできへん。素直
に諦めや」
にらみ合う鉄と渉。
○『三日月軒』入口(昼)
『臨時休業 ご迷惑をおかけいたしま
す』の張り紙。
○『三日月軒』店内
渉、せつ子の写真の前の座敷席へ座る。
席には湯気の立つラーメン。
渉 「クッサ! あかんわ、俺の肥えた舌に
は食えたもんやない」
渋い顔でラーメンをすする渉。
渉 「お父ちゃんの味にはほど遠いな。どな
いしたらええんやろなぁ……」
音を立てて今宮戒神社の飾りが落ちる。
渉 「せやな。困ったときの神頼みや」
渉、飾りを元の位置に戻す。
○今宮戒神社(昼)
制服の渉、賽銭を投げ、手を合わせる。
渉 「えべっさん、えべっさん、どうかお父
ちゃんを元気にさせたってください」
渉の後ろに立つ着物姿の東野。
東野「商売の神様に健康祈願かいな。そりゃ
お角違いちゃいまっか」
渉 「わっ? あれぇ。どうも!」
東野「お父ちゃん倒れたってな。大変やない
か。どうしたん?」
渉 「はい。いわゆる生活習慣病ですわ。急
に店休んでもうてすんません」
東野「養生しはり。ホンマ心配でかなわんわ。
商いは体が元気でなんぼのもんやからな」
渉 「いつもごひいきにしてくださって、ホ
ンマおおきに。俺も無理はあかんと思うん
です。でも、男手一つやから、父ちゃんも
肩肘張らんとあかんのかなあ……」
東野、目頭を押さえる。
東野「あかんわぁ。おっちゃん、そういう話
にむっちゃ弱いねん……」
渉 「ほんまおおきに。でもな、みんなが助
けてくれるから、俺は苦労ないねんで」
東野「せやからあかんてホンマに!」
渉 「いややわ。おっちゃん涙もろいな」
東野「年取るとアカンねん」
東野、渉の頭をポンポンと撫でる。
東野「お母ちゃんもお空から見守っとるで」
渉、視線を右斜め上へ向けて考える。
渉 「せや! 閃いた!」
東野「なんや、おっちゃんに言うてみ」
渉 「帳簿や。お母ちゃんみたいに俺が帳簿
つければええんや。俺な、算数ちょっと得
意やねん。できる気がする!」
東野「ええやん! きばりや!」
渉 「おっちゃんおおきにな! おっちゃん
は商いの神様や! また店来たってや!」
渉は手を振って走っていく。
東野が見た先、頭に幽霊の三角巾をつ
けたせつ子が立っている。
東野「せやなぁ。ほんまええこですわ」
せつ子「おおきに、えべっさん」
深々と頭を下げるせつ子。
○『三日月軒』厨房(夜)
渉、引き出しの帳簿とレシートの箱、
小銭の袋を机の上に並べる。
渉 「ぐっちゃぐちゃやわ。日付で並べよ」
レシートの束を一枚ずつめくる。
渉 「これなんや……そういや間違って二回
発注してもうた言うてたな」
レシートを順に並べていく。
渉 「これもいらん。いらん。いらん。なん
やのこれ。逆に腹立ってきたわ、逆に!」
鉛筆箱から赤ペンを出し、力いっぱい
に線を引く。
○『三日月軒』店内(昼)
ポロシャツ姿の鉄。荷物を持つ渉。
鉄 「ただいま。あー、ホッとしたわ」
カウンター席に座り込む鉄。
渉 「お父ちゃん、帰ってきてすぐで悪い
んやけど、ちょっと俺の話聞いたって」
鉄 「なんや。まーたくだらない話か」
渉、付箋のついたノートを持ってくる。
渉 「俺な、これ、やってみたんやけど」
ノートにはレシートが貼り付けられ、
細かくメモが記載されている。
鉄 「なんやのこれ……けったいな……」
渉 「でな、ごっつ無駄あったねん。これだ
け全っ部いらんねん」
渉、ノートの計算式を見せる。
渉 「逆にな、きちーんと算数すると、この
分だけ余裕あんねんで? せやからな、俺
がお母ちゃんの代わりに算数やるから、お
父ちゃんはちょっと楽しよ。な?」
鉄、涙を流す。
鉄 「お前、ほんまどえらいわぁ……」
渉 「なんで泣くん? やめてや、泣かんと
いてなぁ、お父ちゃん」
鉄、渉をぎゅっと抱きしめる。
鉄 「お母ちゃんと約束したねん。こんな苦
労させとうない、せやから渉は公務員にさ
せるんやって」
渉 「ほんまかいな」
鉄 「本気なら全部教えたる、渉がお父ちゃ
んの味全部もっていきや」
渉 「お父ちゃん。俺な、がんばらへんよう
にがんばるわ」
鉄 「どアホ!」
渉の頭をわしわしを撫でる鉄。