短編小説「お兄さんは神様ですか?」

 近道の公園を横切ろうとしたら、ザッと雨が降ってきた。蒸した夕方の通り雨は大粒で、地面をつき破ろうとせんばかりだ。


傘なんか持っていない。僕は慌ててベンチのある軒下に飛び込んだ。そこには先に女の子がいて、背中を丸めてベンチに座っていた。


セミロングの髪が影になって、どんな顔をしているかよくわからない。ただ、スタイルがよくて、よく見るネイビーのベストとグレーのスカートを着ていたから、近くの高校の子だと思った。


僕は二つあきくらいのスペースを作って、不自然にならないように腰掛けた。


しとどに雨は振る。彼女は下を向いたまま顔を上げない。僕は携帯を取り出してネットサーフィンをするけれど、なんだか落ち着かない。女の子が幽霊みたいに動かないからだ。


もしや本当に幽霊なのではないかと思い始めてきた。一つ屋の怪談なんて、江戸時代じゃあるまいし。


「雨、やまないね」


声をかけてみた。人間だ、返事をするに決まっている。


「……そうですね」


隙間から抜けるような暗い声だった。しかし、警戒が滲んでもいた。僕は変質者ではなくて、幽霊が怖いだけのサラリーマンである。そんな犯罪者みたいな勘違いをされるのは心外だ。


「お腹すかない?」


返事まで、たっぷり時間があった。


「……そうですね」


彼女はこちらに顔を向けた。ハッとするくらい綺麗な顔立ちだ。くりっと丸い目元、ふっくらとした唇、小さな鼻、卵形の輪郭。モデルさんのようだった。


いささか僕は照れてしまった。美人の女子高生と喋るなんて、社会人になってから体験したことがない。逆に怖くなってくる。通報されそうで。


「よかったら、夕食までのお腹つなぎに。カロリーメイト」


いつ飯が食えないタイミングがやってくるかわからない大学からの癖で、僕は鞄にカロリーメイトを常備している。時々おやつ代わりにしているため、気がついたらカロリーメイトのカロリーに飲み込まれがちだから、やめようと思っていた。けど、今日はカロリーをメイトしていてよかった。


箱を開けて、片方の袋をそのまま渡す。女の子は軽く会釈をしながら手を延ばして受け取った。


「ありがとう。……お兄さん、モテないでしょ?」


「……まあ、見ればわかるよね……」


「それもそうだけど、センスないよ。ご飯奢ってくれるのかと思った」


彼女は袋をパリパリ開ける。「チーズだ」と呟いて、するりとステイックを抜き出した。


「僕がそんなことしたらキモいだろう? 本当は話しかけるのも勇気いったんだよ」


「なんで話しかけてくれたの?」


「……し、死んでるように見えたから」


ものは言いようである。いくら僕のようは見た目でも、幽霊なんて言うのは決まりが悪すぎる。失礼については、彼女もそうだからあえて気にしない。


「やだっ……おもしろっ」


肩を小さく揺らして、クスクスっと彼女は笑いだした。カロリーメイトの欠片がポロポロとスカートの上に落ちる。


「笑うなよ」と言ってみたものの、女子高生のウケを買ったのは正直嬉しかった。


彼女はひとしきり大げさなくらい笑って、顔を真っ赤にしてはぁっと息を吐いた。長いまつげに涙が乗っていた。


「ね。お兄さんの家にとめてくれない?」


僕は瞬きを一度、二度、三度。


「……え?」


「私、家に帰れないの。何でもするからさ、泊めて?」


彼女はスポーツバックを小脇に抱えて立ち上がると、僕の隣へと腰を下ろした。僕は慌てて座ったままずり下がった。


「そそそんなのダメだよ! じっ、自分のことを大切にしないと!」


「……誰も私のこと大切にしてくれないから、私も私のこと、大切にしなくていいんだよ」


ふっと彼女の表情が曇って、声が鼻にかかった。この天気みたいに涙が出そうな気分なのだろう。


彼女はふいに黙ってしまって、僕も何を言えばいいのか迷ってしまった。


「……その、僕は今しがた君と会ったばかりだけど、そんなこと言われると、悲しい気持ちになるよ」


「……うーっ!」


その子は震えるように、子供みたいに呻いて、ボロボロと涙を流し始めた。スカートや、食べ掛けのカロリーメイトの上に、ポタポタと大粒の涙が落ちて行く。


僕はすっかり焦ってしまった。こう言う時はどうすればいいのか。抱きしめる? やだキモい。格好悪くオロついてから、鞄の中のティッシュを取り出すことに成功した。


「どうぞ」


僕の差し出した駅でもらったポケットティッシュを、彼女はぎゅっと握った。ぎゃんぎゃん喚くように泣いて、背中を丸めて、しばらく経った。


少し落ち着いたらしいけれど、上がった顔は真っ赤に晴れているし、喉もガラガラだった。幸い小雨になってきたので、目先の自動販売機で紅茶を買ってきて差し出した。


「ありがと」と彼女は無防備に微笑んだ。泣いてブクブクに腫れた顔なのに、子犬みたいで可愛かった。


紅茶で口を休めながら、彼女は少しずつ自分の話をした。両親が毎日喧嘩をしていて辛いこと。抵抗のつもりで友達の家を渡り歩いていたら、誰も泊めてくれなくなったこと。今日が始めての頼り先がない外泊だということ。


「お兄さんならいいかなって思っちゃったんだ」


「嬉しいけど、ダメだよ。もう少しだけ我慢すれば自由になれるから」


普通に育ってきた僕に彼女の何がわかるわけでもないし、相談に乗るというほどのこともできずに一般論しか言えないし、現実から救い出せるわけでもない。


それでも、気持ちを打ち明けられるだけで少し楽になったのか、彼女は泣いたり笑ったり真剣な顔をしたり、僕と一生懸命話をしていた。


彼女は帰る決意を固めたらしい。僕は彼女を家の近くまで送って行くことにした。彼女は遠慮せずに、うん、と頷いた。


あたりはようやく雨が止み、じりじりと蒸す夜になってしまった。空を見れば雨雲がところどころ浮きながらも、隙間から綺麗な星が見える。何も言わずに見上げたら、彼女も同じことをした。

 

「高校出たらお嫁さんになりたいな。……お兄さん、一人だよね。私なんか、どう?」


「……え?」


やっぱり彼女の提案は唐突だ。間抜けな僕はキョトンとして聞き返すことしかできない。


しかし、僕の反応もなんとなく理解していたのだろう。彼女は緩く口元に笑みを浮かべて、僕の脇腹を携帯でつついた。


「今のなし。携帯の番号、交換しよ。いいでしょ?」


彼女は悪戯に、唇を横に引っ張って笑う。


「……うっ、う、うん!」


夢かと思って、僕は勢いよく頷いた。ビジネスバッグから携帯を抜き出すけど、焦り過ぎて手からすっぽ抜けた。そのまま水たまりに飛沫を散らしながら落ちた。彼女はお腹を抱えて爆笑した。



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2014-07-12 00:06:37に書いたそうです。